2021年03月09日
東日本大震災から10年、救えた命があったはず!
東日本大震災から10年、救えた命があったはず!
自分は画像①の情報を広報中の消防団車両で確認しました。
相馬30㎝、他でも報道されていますが、この情報で自宅に戻った方もいたそうです。
しかし注目して欲しいのは二行上の石巻鮎川の3m30cmです。
画像②③で地図上の位置を確認してもらうとわかりますが、鮎川港は牡鹿半島の内側です。
15:20に半島を廻り込んだ津波がこの地に押し寄せていました。
その後、当然のように仙台湾側の各海岸線まで押し寄せました。
自分はこの情報で津波の襲来を確信しました。
そして、自分の身を守る為に同乗の団員とともに自前のライフジャケットを着用の上でより強い口調で避難を呼びかけました。
画像④でわかるように、相馬では15:51頃最大波が到達しています。
この間およそ25分、情報がしっかり伝達できれば仙台湾沿岸の多くの地域では救えた命があったはずなのです。
しかし、あれから10年たった現在、かさ上げや防潮堤、情報伝達システム等の工事は進みましたが、
その運用の仕方や住人に対する防災教育はほとんど手付かずのままです。10年の区切りがやってきます。
行政の責任を問うつもりなど毛頭ありませんが、10年前に立ち返りどこに問題があったのか、
助けることのできた命を無駄にしないように見直すことが必要であると大きな声で問いかけたい。
ここでしっかりやらなければ、再び悲劇が繰り返される。絶対に繰り返してはならない。
2/13の地震、たまたま津波の発生はなかったが、もしあの震源の近さで津波が発生していたら、
津波到達までおそらく20分前後、たぶん大惨事になっていたと想像できる。
ここでもう一度地震津波への対策を見直す良い機会になったのではないだろうか。
防災士 K.YOKOYAMA 著
震源と震度
山元町
相馬市岩子
自分は画像①の情報を広報中の消防団車両で確認しました。
相馬30㎝、他でも報道されていますが、この情報で自宅に戻った方もいたそうです。
しかし注目して欲しいのは二行上の石巻鮎川の3m30cmです。
画像②③で地図上の位置を確認してもらうとわかりますが、鮎川港は牡鹿半島の内側です。
15:20に半島を廻り込んだ津波がこの地に押し寄せていました。
その後、当然のように仙台湾側の各海岸線まで押し寄せました。
自分はこの情報で津波の襲来を確信しました。
そして、自分の身を守る為に同乗の団員とともに自前のライフジャケットを着用の上でより強い口調で避難を呼びかけました。
画像④でわかるように、相馬では15:51頃最大波が到達しています。
この間およそ25分、情報がしっかり伝達できれば仙台湾沿岸の多くの地域では救えた命があったはずなのです。
しかし、あれから10年たった現在、かさ上げや防潮堤、情報伝達システム等の工事は進みましたが、
その運用の仕方や住人に対する防災教育はほとんど手付かずのままです。10年の区切りがやってきます。
行政の責任を問うつもりなど毛頭ありませんが、10年前に立ち返りどこに問題があったのか、
助けることのできた命を無駄にしないように見直すことが必要であると大きな声で問いかけたい。
ここでしっかりやらなければ、再び悲劇が繰り返される。絶対に繰り返してはならない。
2/13の地震、たまたま津波の発生はなかったが、もしあの震源の近さで津波が発生していたら、
津波到達までおそらく20分前後、たぶん大惨事になっていたと想像できる。
ここでもう一度地震津波への対策を見直す良い機会になったのではないだろうか。
防災士 K.YOKOYAMA 著
震源と震度
山元町
相馬市岩子